10年前のノートが出てきた。やりたいことやコンプレックスは10年前と同じまま。ということは

知り合ったときには40代後半だった知人が、60代の半ばになった。
その分私自身も年を重ねているので、それ自体に驚くことがあるが、身内以外の身近な人が40代から60代になるというのはよりインパクトがある。本当に40代の人も高齢者になっていくのだと。
私は今30代後半なので、40代なんてすぐそこ。あっという間に60代になっているのかもしれない。
さて、その60代になった知人と共通の知り合いである友人Aは、こんなことを言った。
「○○さんは、出会った頃も、60代になった今も何も変わってないじゃないですか。△△さんもそうだし。だからきっと人間って変わんないんですよ」
その通りで、環境や健康状態に変化はあれど、知人自体の行動様式や趣味嗜好はずっと変わらないままだ。
翻って自分を省みてみれば、15歳のときくらいから基本的に同じような気がする。いや、15は言い過ぎかもしれないが、社会人になってからなど特に、思考の癖や好みやどうしても嫌なものなど、変わっていないような気がする。
10年前のノートを発掘
そんな折、掃除していたら10年前〜5年くらい前に渡って書かれたノートを発見した。
思考がこんがらがったときや、何かをスッキリさせたいときなどノートに書き留める癖があるのだが、捨てずに取ってあったようだ。
読み返してみると、そこには当時の願望だったり、何も制約がなかった場合、どんな生活を送りたいか、何をやりたいかなどが書かれてあった。
10年前のノートにも、5年前のノートにも、3年前のノートにも書いてあった。
驚くことに、その間、ずっと願望が変わってなかったのだ。
変わっていない願望とコンプレックス
もちろん、いくつかの願望は行動していてクリアにはなっている。例えば資産運用とか、副業を開始するとか。
そういったすぐできるものは解消しているのだけど、めんどくさそうで根気や継続が必要なものだったり、時間がかかるもの、人間の体の構造として実現不可能そうなものは10年前からそのままだった。
怖いと思った。
10年前からそのままなら、10年後も同じことで思い悩んでいる可能性が大じゃないか。
願望は時としてコンプレックスとイコールだ。
例えば、「英語を日本語並みにスムーズに聞く・話す・読む・書くができるようになる」なんてあったが、これは英語が不自由な自分に対してのコンプレックスだ。
悩みつつも、日々の生活に揉まれ、何かと理由をつけては逃げ、コンプレックスを解消せずにずっとそのままで10年前から生きてきたのだ。英語に関していえば、他人は関係ない願望であるから自分がどう行動するか、だけなのに。
10年前から行動していたらどうだろう?
何かのエッセイ本に「10年やってモノにならなかったら、俺の首やるよ」なんて一文があった。
これは10年続ければ、何でもモノにできるという意味だが、もし私が10年前に本格的に英語学習を開始したら今はどうなっていただろうか?
そして今何もしなければ、10年後、同じことを言っているのだろう。
英語に関していえば、折に触れて思い出したようにラジオ英会話やアメリカのラジオを聴いたり、すでに内容を知っている海外ドラマを英語字幕で見たり、外国籍の人が多い職場に入社してみたりとぼや〜っとは何かしらしている。
これはどうにかしたい心の現れなのだろう。
なのに本格的には何もしていなかった。
すべて解消していきたい
ということで、おそらく私の願望やコンプレックスは10年後も20年後も変わっていないだろう。
悩み、願望、コンプレックスがあるならば、ゴールを決めて、道筋を立てれば解消できる。
解消していかないと、一生コンプレックスを抱えたままになるだろうし、それって気持ちよくないし、死の間際に後悔するに違いない。
できない理由を並べるのは簡単だけど、この度昔のノートを発見して怖くなってしまった。一つずつ解消していって、日々の気持ちいいを更新したい。より快適に生きていきたいから。