自分のためにも周りのためにも、好きなことはやっときたいと改めて思った出来ごと

かつての同僚が、ガンになったと報告を受けた。

同僚といっても、私は現在30代で、彼女とは30歳近く年が離れているから60歳をすぎている。

数日前に知った内容は、ガンになり、手術をし、抗がん剤治療をして現在は自宅療養中だということ。長い髪が特徴的だった彼女の髪は、今はその影もないということ。

彼女は個性的で、目立つ存在だった。かわいがってもらっていたし、彼女の話を聞くのが好きだった。歳は離れていたが、私が退職したあとも度々会っていた間柄だった。

ガンだという報告を受けて、ショックだった。本人はなおさら・・・というかきっと私には計り知れないほどの感情があっただろう。

しかしひとしきりショックな感情が湧き上がってきたあとに私の中に出てきた感情は、「好きなことを好きなだけやっていて、楽しそうにしていたから、よかったな」だった。

病気になってよかったわけではもちろんない。彼女は、これまで好きなことを人目からもわかるくらい謳歌していた。

30を過ぎてからアメリカへ行き、そして働き、4年ほどして日本に帰国。仕事はいくつか渡り歩き、お金はそんなに余裕があるとは言っていなかったけど、上手にやりくりしていたようで大好きな観劇などに、あきれるくらいに明け暮れていた。

独身だった彼女は、両親が年老いると両親と動物の面倒を見ながら、仕事をして、その中でもうまく時間を捻出して趣味に勤しんでいた。

だから、ショックなのだけれど清々しい感情も出てきたのだ。

これは別の同僚も同じことを言っていて「ガンになってしまったけど、でも今まで好きなことをやってきたからそれはよかったと思った」と。

そう、病気になって自由がきかなくなったとき、それこそこれまでの人生が我慢の積み重ねや不平不満ばかりだったなら、自分はもとより周囲の人までやりきれない気持ちになるだろう。

かつての同僚に、まさに不平不満のネガティブガールがいたのだけれど、もし彼女がガンになったらと想像するとやりきれない思いになる。

「恵まれてなかった」「あなたは若い頃だったから退職できたのだろうけど、私の今の年齢じゃ無理」「そんな好きなことをやってる時間や余裕なんてない」「あの頃はよかった」「あの人ばかりずるい」

そんな言葉ばかり吐いて生活していた人物が、同じ状況になったらまったく違う感情が湧いてくるに違いない。

楽しく生きることは、周りの人のためにもなる。

自分と関わったことで、暗い気持ちになって欲しくない。

好きなことをやっていると、特に子育て中や介護中などは周りからいろいろ言われることがあるかもしれない。だけど時間やお金は多少無理してでも好きなことをやることは、いろんな意味で、自分のためにも、周囲のためにもなるのだ。

では彼女の早期回復を祈って。

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