小学生になってもおねしょが治らない。小5までおねしょをしていた私の、当時の状況と気持ち。
こんにちは、ヨシタカです。
私(女)は小学校5年生の最初の時期まで、おねしょをしていました。
現在の私は出産して乳児がいるのですが、先日ふとおねしょをしていた自分のことを思い出しました。
親になったからなのか、子どものおねしょで悩んでいる人々は少なからずいるのではないかと思うようになり、記事を書こうと思い立ちました。
私は医療従事者ではありませんし、原因や解決法を明示できるわけではありません。
なので本記事では、おねしょをしていた子ども本人がどう思っていたか、家族にどうして欲しかったか、何が嫌だったのかなど子どもの目線でお伝えしようと思います。
長めになってしまったので、お時間あるときにどうぞ。
では、何らかの参考になれば幸いです。
学校でのおねしょの記憶
長らく自分がおねしょをしていたことを忘れていました。これはさほど気にしていなかった、つまりつらい記憶として残っていない証拠なので、家族に感謝すべき点かもしれませんね。
とはいえ今回を機におねしょの記憶をつぶさに辿ってみると、それなりに思い出てきました。まずは家の外での出来事から。
保育園時代。お昼寝でもおもらし
3歳から通っていた保育園での、お昼寝にて。
どうやら私は夜だけでなく、お昼寝でもおもらししていたようです。
遠い記憶の中に、赤地にネコのイラストがプリントされた私の布団が、しょっちゅう保育園で干されている様子が思い出されます。
当時の担任の先生は妙な厳しさがあり、子どもながらにそんなに好きではありませんでした。
その先生に毎回ではないけど、何かの拍子に「なんでいつもいつもおねしょするの」と感情的に怒られることがたまにあり、「そんなこと言われても、わかんないんだよなあ」と何も返せないでいました。
この頃には、こうして怒られることで、「=よくない、ふつうじゃないこと」、と感じるように。また布団を干されてる子どもは少ないことから、“おねしょは少数派”と自覚し始めました。
小学校三年生。授業中の生徒の発言にドキっとする
国語か何かの授業中だったと思います。
授業の流れで「小学生のおねしょがどうのこうの・・・」という話が担任から出て、その時一人の男子生徒が「小学生にもなっておねしょする奴がいるかよー」と発言。「ハハハ」と笑い声も上がります。正直ドキッとしました。
そう、小学校三年生頃になると、おねしょをするのがふつうではないと完全に知っていたし、だからこそ周囲に隠していたと思います。友人に「私おねしょしてるんだ」と話したことは一度もなかったので。
しかしこのドキッとした時に、先生が「いや、別に小学生でも大人でもおねしょするのは恥ずかしいことじゃないんだよ。小学生のおねしょは結構多いし、大人でもおねしょする人はいるんだから」とクラスに広がった「おねしょ=恥ずかしい」雰囲気をナチュラルに、かつ完全にブロック。次の瞬間にはさっさと別の話題に移っていました。
ほんの授業の一コマながら、私はこの時のことを映像としてもよく覚えていて、そして何よりとても救われた気持ちになったのです。
当時の担任は人格者で、教師としても素晴らしい人だったんですよね。大人になった今思い返しても、教師が天職のような方でした。
さて後日談。「おねしょする奴がいるかよー」と発言した男子が、じつは小学生時代におねしょをしていたことを大人になってから親経由で知ります。
なんということでしょう。
あの発言をしたときの彼を思うと、なんだか胸が締め付けられる思いになるのです。
家でのおねしょの記憶
赤いふんどし
同じ頃だったでしょうか。
今思い出すと笑えるのですが、ある日母と祖母に神社だかお寺に連れて行かれ、「この赤いふんどしをすれば、おねしょが治るらしい」と赤いふんどしをもらってきたことがありました。
ガチのふんどしではなくて、ヒモで結べばいいだけのピラピラな簡易版ふんどしです。よだれかけみたいな感じのものです。
おねしょを治す神様でも祀られていたのでしょうか。だとしたら日本は本当にあらゆる神様を網羅してますね。どこの神社だったんだろう。
その夜から「このふんどしして寝な」と言われ、ふんどしなんてつけたことないし、いやいや、これで治るかいなと子どもながらにうっすら疑いつつも装着。そして翌朝おねしょです 笑。信心深さが足りなかったのでしょうか。
数回つけてみたけどすぐにつけなくなり、私も母も祖母もふんどしの存在はすぐに忘却の彼方へ。
今振り返ると、家族は基本的には誰も気にしていなさそうだったのですが、それなりに娘・孫のおねしょに悩んでいたんでしょう。赤いふんどしまで持ち出すくらいですから。
怒られても、どうしようもない
家族は気にしていない風でしたが、母には突発的に怒られていたことを覚えています。
叱る、ではなく怒る。
感情的に「なんでおねしょするの!」と言われることがありました。でも私としてはおねしょをしたくなくても、どうしてもしてしまうわけです。
夜に水分をあまりとらないように注意しても、「今日はおねしょしないぞ」と思っても、「夜起きてトイレ行こう」と思っても無理なのです。
自分自身もどうにかしたいと思っているけど、コントロールが効かない。
だから怒ってもムダだし、ただ傷つくだけ。悪いなあと思っていても、治せないから自分を責める。だけどできないから、悲しい。
子どもにおねしょをされたら、親としては朝はとくに忙しいのに、やることが増えるからイライラしてしまうのでしょう。
だから感情的になるのも無理ないと思いますが、子どもの立場からすると悲しくなります。
バタバタしていたのが、功を奏した
我が家は家族が多く、大人はひいおばあちゃん以外は働いていて、ひいおばあちゃんも畑仕事などの家の仕事があったりと、みんなそれぞれ忙しかったらしいです。そして母は嫁の立場。
これがなかなかおねしょをしていた自分には、功を奏したと分析しています。
というのも、母はなかなか感情的な部類だと思うのですが、家のことや仕事でバタバタしていて、子どもに十分に目を光らせるほどの余裕がなかったのです。
おねしょのことばかり考えてるような暇はなかった。
もし余裕があったら、いろいろ口うるさく言われていたんじゃないでしょうか。
私はもともと放っておかれたいタイプなのもありますが、おねしょに関してはどうしようもできないのだから怒らないでほしいし、口うるさくしないでほしい。焦らせないでほしい。そんな気持ちが強かったです。
基本的に感情的にならない親であれば、意識的に怒らないようにできます。
ですが感情的な傾向があると、「忙しくておねしょについて考える暇がない」という強制力がないと、子どもに怒る回数が多くなると思うのです。
だから、家がバタバタと忙しくてよかった。口うるさく言われることがないから、深刻に自分自身おねしょに悩むことがなかったのしょう。
友人宅でのお泊まり
さて小学校も4年生近くになると、友人宅へのお泊まりが遊びの一環になります。
私はおねしょをまだしていましたが、お泊まりは行っていました。とはいえおねしょをしてしまわないか、内心ドキドキ。
まず幼なじみの家でお泊まり。幼なじみは、私がおねしょしてることを知りません。
ですが幼なじみのお母さんの行動で、「お母さんは、私がおねしょしてるのを知ってるな」と察知しました。
私が寝る布団に、カサカサするシーツ・・おそらく防水おねしょシーツが挟まれていたからです。
しかし「ヨシタカちゃんはおねしょするかもだからね」も言わず、表面的には何も知らない風を装ってくれていたので助かりました。
子どもながら、恥ずかしい思いはしたくなかったんですね。
絵本で自分を勇気付ける
ノンタンの『おねしょでしょん』という絵本があります。
今思うとなかなかいじらしいのですが、子どもの頃、読んでなにげに勇気付けられてた気がします。
『おねしょでしょん』は、魚の形におねしょをしたり、とにかくみんなおねしょをして・・・といった話なのですが、「おねしょは恥ずかしくないんだ」と思えるのです。
正確な感情は忘れてしまいましたが、自分なりに「なんでおねしょしちゃうのかなあ」とは感じてて、絵本を読んで「でも恥ずかしくない、ノンタンとかみんなしてるし!」と勇気をもらってたのだと回想します。
おねしょの終焉
さて、おねしょの終焉は唐突にやってきました。
「中学生になってもおねしょしてたらどうしよう」と心のどこかで思っていた小学校5年生の5〜6月だったと記憶しています。
急に、私はおねしょをしなくなりました。自然に治ったのです。
何か意識したわけでも、対策したわけでも、赤いふんどしを再びつけたわけでもありません。
一つだけそれまでと違うことがあるとすれば、思い当たるのはクラス替えをして、恐ろしいほどに気があう友人ができたこと。
それまでも仲良しの子はいましたが、段違いで心地よく、楽しく、気が合う子ができたのです。
ただこれは、おねしょと関係あるかどうかはわかりません。
何か体が変わったタイミングと合致しただけかもしれないですから。
おねしょ環境のエトセトラ
おねしょをしていたのは、家族の中で私だけ。3人兄弟のうち私だけががしていました。
ただ大人になってから知ったのですが、いとこが二人、小学生の頃おねしょをしていたらしいのです。
そのいとこ二人は兄妹(きょうだい)で、おねしょに遺伝が関係あるのかないのかは私にはわかりませんが、遺伝を感じずにはいられません。
蛇足ですが、3兄弟の中で私だけ、顔がそのいとこたちと似ています。
子ども目線で思うこと
さて、まとめとして、当時おねしょをしていた私が家族や周囲に思っていたことは。
・おねしょする原因は自分でもわからない
・夜水分を取らないなど、おねしょをしないように努めても、してしまう
・だから責めない、口うるさくしないでほしい
・怒らないでほしい
・なぜなら頑張ってみても、治らないから
・家族は深刻にとらえないで、あっけらかんとしててほしい
・家族以外に言いふらさないでほしい。恥ずかしいから
・周囲は子どもがおねしょをすると知っていても、知らないふりをしてほしい
・恥ずかしい思いをしたくない
もちろん子どもの性格によって違いはあるでしょうが、誰しも「恥ずかしい思いはしたくない」のは共通ではないかと思います。
長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!
何かしらのお役に立てれば幸いです。
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