新型コロナウィルスの渦中にいる一般人の私の体感と、思っていることの記録【2020年4月4日】

新型コロナウィルスが猛威をふるっている。

一般人である私が思っていることを、ここにメモしておこうと思う。

というのも私自身、歴史上の人物のことよりも昔の一般人の暮らしに興味があるタイプである。そのため、いつか未来に同じような人が、一般人の思考の一部に興味を持つかもしれない。個々の考えはもちろん違うが、興味を埋める1ピースにでもなるかもしれない、と考えたからだ。

また、現在新型コロナウィルスによって私たちの生活は、ダイレクトに影響が出まくっている。今後このような状況にはそうそうあわないだろう(と願いたい)。

そのため、ただ単に自分がコロナウィルスによる非常時に何をどう思っていたかを記録したかったのだ。

さて、この記録を書いているのは2020年4月4日(土)。

簡単に自己紹介をすると、私は30代、夫婦と2歳の子どもの3人暮らし。パートで働いている。住まいは東京で賃貸で暮らす、ごくごく普通の主婦だ。

ウィルスの専門知識もなければ、他の専門知識もない。

そんなごく一般的な主婦の日常のメモを、記していく。

時系列の体感記録:気が付いたときには自分たちの問題

2020年1月

あくまで私の体感になるが、1月には武漢のニュースがちょくちょく取り上げられるようになっていた。

しかし1月はまだまだ対岸の火事で、保育参観に参加したり、旅行に行ったり、友人と遊んだりしていた。

胃腸炎になったが、体調を崩した時に「コロナかも」なんて疑いもしなかった。頭もよぎらない。そんな時期だった。

2月

しかし2月になると、徐々に雲行きが怪しくなってきた。ダイヤモンドプリンセス号のニュースや、コロナが原因で死亡した人のニュースが放送されるようになっていたからだ。

職場では、里帰りをしていた中国出身の方が、2月上旬に日本に帰国。出社する予定だったが、10日間自宅待機を命じられた。

ちなみに同じく2月末にイギリスから帰国した方は命じられていなかったので、まだまだ「中国での感染注意」の意識が強かった頃だったのだろう。

2月最後の日曜日、我々家族は電車に乗って少し遠い公園まで遊びに行った。帰り道、子どもがベビーカーで寝たのでそのまま散歩をしていると、夫が「コロナがさ・・・」と妙に重々しい口調で、これから世界がどうなるのか、の最悪パターンを話し始めた。

夫は映画を目が腐るくらい見る。その彼が想像する世界は恐ろしく、なぜかこの日だけは饒舌で、語り口調が意外なくらいに私を怖がらせた。

そう、私はテレビはほとんど見ておらず、ネットニュースもyahooトップ画面のタイトルにざっと目を通すくらいであった。

しかし夫は常にスクリーンを見ているタイプで、アプリのスマートニュースのヘビーユーザーであり、持っている情報と見ている世界にかなりの差があったようだった。

夫の想像するコロナの最悪パターンを聞かされた前後では、大げさな表現ではなく世界が違って見えた。

それまでの私はのんきな世界を生きていた。私は怒った。「なぜそんな話を今するのか、すごく怖くなった、この後人通りの多い地域を散歩したくない、帰りたい」と。

恐ろしいストーリーを語った当の夫はどこ吹く風で、人混みの参道の見物を楽しんでいる。ここで初めて、人々の「マスク姿」に目がいくようになる。参道の人々を見渡すと、マスクをしている人はそれほど多くなく、私もしていなかった。

記憶が定かではないが、2月下旬あたりからだったろうか。

マスクが街なかから消え、買えなくなった。デマの情報が出回り、トイレットペーパーが手に入らなくなった。紙製品から付随して、一瞬ではあるが生理用品、おむつも買い占めにより入手できなくなっていた。

ちなみに我が家は、もともとマスクユーザーではないのでマスクは家にほとんどない。残数3枚くらい。なんとなく3月中旬には店に出回るようになるだろうと予想を立てていたが、4月現在もお店で目にかからないままである。

電車に乗るときは咳エチケットとしてマスクをつけておきたかった。会社からも「電車ではなるべくマスクをつけて」と言われていたので、従っておきたかった。

しかし入手できない。ではどうしたのか。

2週間同じ使い捨てマスクをつけるという本末転倒かもしれない行為をしていた。とはいえ咳エチケットの目的は果たしていたし、手持ちの数枚がなくなってもハンカチや布などで代用して作ればいいだけだ。心配もなければ薬局を探して回ることもしなかった(早朝に並べば店舗によっては買えるらしい)。

ちなみにトイレットペーパーも手に入らなかったが、幸い買ったばかりでストックが家にあった。

そもそもトイレットペーパーは買い占めのために店舗への配送が間に合わないだけで、物があることは周知の事実であったので心配はしなかった。

万が一しばらく手に入らなくても、私はインド式に慣れていた。ちょくちょくインドへ行っていたからだ。そもそもウォッシュレットがついていることも相まって、不安はなかった。でも夫は手ではできないと思うので、教えるつもりだった。

我が家は3人暮らしで、しかも一人は2歳児で小さいためのんきに構えていらてた。だが人数が多い家庭を想像すると、とても困るだろうなと心配になった。

2月はすでに、インバウンドの観光客が目に見えて減り始めた。

3月

さて、3月に入った頃はもはや対岸の火事ではなく、みんながみんな自分ごとになってきた頃だと思う。

コロナは世界中で感染を引き起こし、猛威を振るっている。各国様々な措置をとっている。

「パンデミック」「クラスター」「ロックダウン」「オーバーシュート」など普段聞きなれない言葉を、普通に一般人も使うようになってきた。

学校は休校になり、東京の感染者も増えた。

休校の発令が出された頃、世間はコロナへの警戒心が高まった。

しかし3月20日あたりの週末では、いったん空気が緩んだ。

桜が咲き、暖かくなったせいなのか、緊急事態宣言が出されなかったため安心したか。

お花見も例年よりは人は減ったが、想像よりも花見客はいたし、花見客を見ても「春だね〜」くらいしか感じなかった。私は私で、友人と朝ごはんを食べに行く都合のすり合わせをしていた。

そんなとき、小池都知事が週末外出自粛の要請を出した。不要不急の外出は控えるように、ということだった。対象日は3月28日(土)、29日(日)だ。

折しも天候が悪く、日曜日に至っては雪まで降った。これじゃ出かける気もおきないので、天気が協力してくれたのかもしれない。

28〜29日と街を少し散歩したが、人はまばら。お店はちらほらとオープンしているものの、人々は自粛していた。お店から「今日は人が来るきしねえなあ〜」なんて声が聞こえた。

しかし、体感ではいささか緩んだムードが漂っていた。

ところがその空気が「コロナに感染しないように、人に感染させないように本気で気をつけよう」ムードに一変した出来事があった。

志村けんさんの訃報だ。コロナで亡くなったという報道だった。

自粛を呼びかけても、他国から対策が甘いと言われても、「ん?」と少々ふわふわした気持ちが、志村けんさんの訃報によって日本中の意識がビシッと変化した。

以降は街で見かける人の大多数がマスクをつけていた。遊びで出かける人をあまり見かけなくなった。

後世の人のために付け加えておくと、志村けんさんは大変有名な芸人で、日本人なら誰でも知っている。「アイ〜ン」「変なおじさん」「バカ殿」じゃんけんの時の「最初はグー!」「カラスなぜなくの カラスの勝手でしょ」これらはすべて志村さん関連であり、とにかく他人とは思えないほど身近な芸人さんだったのだ。

パート先の会社は、4月からは全員在宅勤務が命じられた。小池都知事が自粛要請を出した次の日からほとんどの人が在宅勤務に切り替えた。

ハワイに駐在に行ったばかりのかつての同期は、緊急帰国をした。

インターンの台湾出身のの学生は、台湾に帰国中だったが日本に戻ってこれなくなったため、状況が変わるまでは台湾からのリモートになった。

2020年東京オリンピックは、1年延期が決まった。

インバウンドのお客さんは、もうほとんど見かけない。

トピック別:コロナで私も考えた

ここからは、トピックごとに時系列関係なく思ったことのメモをした。

対象が多岐にわたるので話が飛躍しているように感じるだろうが、コロナきっかけで考えたことは改めて多いなと思った次第である。

人間関係が希薄になったと言うけれど

現代は人間関係が希薄だと言われて久しい。

しかしコロナが日本でもどんどん感染してくにしたがって、都会ではもしかしたら隣人の顔も知らないかもしれないが「思ったよりも、みな交わりながら生きていたのだな」と感じるようになった。

一人一人で分断されては生活はできないし、社会はまわらない。図書館も、レジャー施設も、お店も、レストランも、電車も学校も会社も、一つの”箱”をみんなで使っていたのだ。

お祭りも、ライブも、スポーツ観戦も、みんなで集まって行なっていたのだ。

いろんなことや場所を共有していたという当たり前のことに、感染経路を見ることで改めて気がついた。人間関係は昔に比べたら希薄になったのかもしれないが、同じ場を共有し、話したりしていたわけで、自分が想像していたよりも世の中は分断されていなかった。

そしてもしかしたら知らないうちにコロナになっているかもしれない、と思うと、気軽にその辺の人にマスクなしには話しかけられなくなった。

街なかで落し物をした人がいても、遠くから「落ちましたよ」と伝えるだけで拾うのを避けた。老人が重い荷物を持って階段を登っていても、代わりに持ったりできなくなった。

電車の中は、前よりも静かになった気がする。コロナ騒ぎが出て来てからは友人と電車に乗ることはないが、もし乗ることがあってもペチャクチャ話すのはなんだかできなそうだ。

人間が住んでいるのに、電車も街も以前よりひっそりしている。少しさみしい。

街のざわめきは、学校からもれる子どもたちの元気な声は、人々の楽しそうな声や雰囲気は、知らず知らずのうちに自分の活力の元の一つだったようだ。

テレビを見たらびびった

テレビをあまり見ていなかったが、夫から「コロナで世界がどうなるか」の最悪シナリオを聞かされた日、テレビをつけてニュースを見た。

すると「速報です、新型コロナウィルスで〇〇県の男性が死亡しました」「繰り返します〜〜〜」。

めちゃめちゃ怖かった。速報なのも怖かったし、言い方も重々しくて何より「繰り返します」によって、ものすごく恐怖を駆り立てられた。

毎日こんな風にコロナ関連は放送されていたのだろうか? ワイドショー的なニュースは心臓に悪いので、ニュースを見るなら番組を選ぼうと思った。

Twitter見たら心が揺れた

ツイッターを、とある分野の情報収集のために使っている。

久しぶりにツイッターを開くと、タイムラインにコロナ関連の話題が当然ながら混じっていた。

「外出自粛要請が出たから、備蓄はしておいた方が良さそう。〜〜〜(品目例)。でももちろん買い占めはNG。節度を守って買おう」

ツイート主は、とある分野についてつぶやく人だったが、コロナ騒ぎの渦中では、たまにコロナのツイートも混じっていた。彼はこれまでのツイートから察するにきちんとした人で、ツイートの内容自体もまともである。

しかし、このツイートを見たときに私は不安になってしまった。「食料を、必要よりも多く買っておこう」と頭に浮かんだ。

ツイート主は必要な分だけ、と言っているだけなのだが、このツイートを見たことによって「多めに買っておかないとやばそうだな」と思ったのだ。

まともなツイートなのに、「買わなきゃ」を刺激された。ふつうのことを言っているのに心が揺らいだのだ。だとしたら、もっと気持ちを駆り立てるような発言を目にしたり、不安を煽るような投稿が拡散されたらどうなるのだろう?

しばらくツイッターを開くのをやめた。

人間の方が怖いというけれど

ウィルスよりも人間が怖い、なんて見たり聞いたりする。

しかし、今のところ私はまだ「人間の方が怖い」なんて事態に遭遇していない。

ツイッターを見ると、悲しくなるようなエピソードを目にしたりする。で、「人間の方が怖い」「みんなイライラしてる」「みんなピリピリしてる」なんて意見が流れて来る。

しかし、それはツイッター内の話なのかもしれない。実際自分が目にしている世界はどうだろう?

「みんながイライラしてる」という情報を見ているから、街ゆく人を見てもイライラしているように見えたり・・なんて現象もありそうだ。

少なくとも私が目にしている社会では、これからどうなるかわからないけれど、人々はイライラしているようには見えないし、親切なままである。

必要な情報はちゃんと入って来る

テレビやネットを頻繁にチェックしなくても、本当に必要な情報は不思議と入ってくる。

手洗いが大事、週末自粛要請が出た、学校が休校、人に感染させないよう努めるetc…。

一時期、コロナの情報を色々送って来てくれる人がいた。「〇〇はデマらしい」「〇〇はコロナに有効じゃないらしい」などなど。彼は「デマ情報に踊らされないようにチェックしている」とのことだった。

一緒に送られてくるURLは、確かに出典がしっかりしていて確かな情報であった。

しかし、「今〇〇が効果あるから売れてるでしょ、だけど効果ないらしい」など次々と新しい情報をくれるのだが、まず私はニュースに疎いので〇〇が効果ある、という情報そのものを知らない。

これは逆説的に言えば、彼はデマ情報に踊らされているとも取れる。

私たちは忙しく、やるべきことは多い。心はなるべく平静でありたい。となると、初めから情報は取りにいかない方がいいのだ。

必要な情報は入ってくるし、結局のところ今我々ができるのは、手洗い・うがい、栄養をしっかりとって、しっかり眠って健康的に過ごすという、ごく普通のことくらいなのだから。

コロナ関連の情報を知りたければ、SNSやニュースサイトではなく、厚生労働省の公式さえチェックすればいい。出典が確かなものさえ読めばよいのだ。

いたずらにネットの海を泳ぐと、時間と気持ちが大変に消耗される。

情報に触れるのを最低限にすると、街も人も案外穏やかに見えてくる。すると少しは余裕が生まれるような気がする。

どんな施策をしたって、反対意見は出てくる

企業や自治体や政府が、様々な施策方針を固めたり、行ったりする。

計画が発表される度に、反対意見がわんさか出てくる。

みんながみんな納得するような策なんて、どこにもない。どこかにしわ寄せは出てくるのは残念ながら当然のことだ。

仕事で部署で集まったミーティングでさえ意見の一致は難しいのだから、国単位になったらまず一致はありえない。

そして反対意見は出てくるけど、決断しなきゃ前に進めない。

あまりにおかしすぎることならば、みんなで大声をあげて変更を求めなくちゃいけないかもしれない。

だけど基本的には、我々の代表と言ってもいいいろんな人たちが一生懸命考えてまとめた結果の施策である。

そして基本的には従うことになるのだ。

結果がどうであろうと、鬼の首を取ったような発言は控えたい。Aをした時の結果、Aをしなかった時の結果は比較できないのだから。

妊婦さん、出産する人、乳飲み子を育てている人が心配

世の中が平和なときだって、妊婦やもうすぐ出産予定の人、産んだばかりの人は大変な不安がある。

今どんな気持ちだろう。何かできないかと思うが、うかつに外部の人間に会うのも不安な状況なはずだ。

気晴らしで外に出たくても、安心して歩けない。産後両親に手伝ってもらったり、サービスに頼ることも難しいのかもしれない。

どうすれば手を差し伸べられるのだろう。

私の頭ではもはや宅配サービスで手助けするくらいしか考えが及ばないが、一番必要なのは人の手のはずだ。

想像よりも観光業界は中国のお客さんに依存していた

いつしか外国人旅行者の数は増え、外国のお客さんを目にしない日はなくなっていた昨今の日本。だったが、

2月には、中国からの旅行客の姿はほとんど見なくなった。

もともと中国のお客さんは多いと思っていたけど、他国からもたくさん来ているイメージだった。なので中国のお客さんが街からいなくなって街の様子が変わったのを見て、「お客さんのほとんどは中国からだったんだ」と心底感じた。

中国のお客さんが観光業にもたらす富は莫大だ。

世界が平和な時は中国一本釣りで事業をやっていても儲かっただけだろうが、有事になった時に事業対象が中国の観光客だけだった場合、傾くのは早い。うまく行ってる時ほど、次の一手を考える必要があるようだ。

地球人です

yahooニュースのタイトルで「ヘイト発言が増えた」の一文を目にした。

嫌な気分になるのは容易に想像ができたのでニュース記事は読まないことにして、ツイッターを開く時はトレンドなどを見ないようにした。

日本国内にいると特定のアジアの他国を攻撃する発言をする心無い人もいる。しかし日本を一歩外に出ると、我々は「アジア人」でひとくくりである。

アジア人なので、日本人の私たちは差別対象になることもあるのは、知っておきたい事実だ。

心無い発言は、ブーメランになって返ってくる。

もっと言えば、私たちは同じ地球に生きる人間で、例えば火星人から見たら「地球人ヤバい」なのだ。

コロナウィルスは地球上で起こってる非常事態。どこの国がどうだとか言い合っている場合なのか、地球人。

解雇かな? と思ったが

私はパートで働いている。

都知事の外出自粛要請が発表された次の日、私は出勤日ではなかった。リーダーから連絡が来て「明日からの勤務について、チャットで送ります」とのこと。

この連絡を受け「ああ多分クビだな」と思ったので、次はどこで働こうかと考えた。そろそろフルタイムで働きたいと考えていたから、次は給料がいいところにしようか、前職にまつわる仕事であれば給料は高めになるな、だけど業界がな・・・なんて色々思いながら早速転職サイトをチェック。

チャット内容を見て少なからずショックを受ける&プライドに傷がつきそうだと予想したので、防衛策としての行動だったのかもしれない。

そしてチャットを開き、内容を読むと、「基本的に全員在宅勤務になるから、業務の関係でPCの設定を〜〜〜うんたらかんたら」だった。

せっかちなのに仕事はゆっくりで、ミスもよくするのでクビだろうと思っていたが、違った。やさしい。

平常に戻ったら(戻ると願う)、今まで以上にちゃんと働いて会社にプラスになるような働き方をするぞ・・・・なんてよぎったけど、平常時になって働いて3日もすればこの思いは忘れるのは安易に想像がつく。ので、メモだメモ。

つぶれない会社はどこか

ところで、非常時につぶれない会社はどんな会社なのだろうか。素人の考えだとこうだ。

まず、個人で文字通り生き残ろうと思ったら

・農業

をやっていれば、食いっぱぐれない。そう言えば祖母が言っていた。戦争で食べ物がないときも、うちは米を作ってたから食べるのに困ることはなかったが・・・と。

また、

・大家さん

も同時にやっていれば、お金が入ってくる。人は住む場所が必要だ。

さらに詰めて考えると、「土地持ってる人間は最強」だ。さらに言うならば戦後のゴタゴタ時期に都心に土地を買う勇気があった先祖がいる家の人間は最強、である。

労働者目線で検証すると

・スーパー

・製薬会社

・不動産(※種類によりそう)

・物流

・情報通信

このあたりだろうか。食べなきゃ生存できない、健康が第一、住むところが必要、物流がなかったら食べ物も何もかも回ってこない。スマホはもはや必須インフラ。

リスク許容度を測るタイミング

なぜつぶれない会社を考えたかと言えば、一つは働く業界を改めて考えてみたから。もう一つは絶対につぶれそうもない会社の株をうっすら検討したからだ。

そう、現在株価が下がっている。

私は下がったタイミングで、株を数回買い足した。

この行動により、自身のリスク許容度がわかった気がする。自分を客観的に見るのは難しいが、少なくとも株に対するリスク許容度はつかめた。

ちなみに、コロナ騒ぎの少し前に「安くなったら買いたい個別株」リストを作っていた。しかし下調べもなく、感覚でなんとなく作っただけのものだ。なぜ選んだかの明確な理由はない。

改めて思ったが、時が来たならその波に乗れるように、いつでも準備万端にしておくべきであった。色々と後回しにしていたのだ。

株に限らず、好機を逃さないためには普段からいつでも波に乗れる自分でいなければならない。。。のかもしれない。

友人の「コロナの疑いなんよ・・・」

さて、ごく親しい友人の一人と他愛もないメールをしていた。そんなある日の返信で「どうやら私、コロナの疑いなんよ・・・」なんて文面が届いたのだ。

息苦しさや倦怠感、ほのかな胸痛と微熱。

じつはこのメールが届いた日、帰途で「〇〇さんがもしコロナになったらどうしよう。3ヶ月は泣いて暮らすな・・・」とふと思っていたのだ。

そのタイミングでコロナかものメール。ものすごく恐ろしくなった。大丈夫だと信じる反面、不安に駆られた。

具体的に想像をしてしまった。我々は私に子どもが生まれた後も2週間に1日くらいは会っていたし、夏は週数回会うこともある。たくさん話をする。

あんなに内容のない会話をできる友人はなかなかいないし、あんなにポンコツな人間も珍しい。彼女がいなくなったらと思うだけで、泣けてきた。コロナだとお葬式には行けないかもしれない。

我々はメールの返信がお互いに遅く、1〜3日空くのは平常だ。しかしこの時ばかりは、その日に返信が来ないことが怖くてたまらなかった。

次の返信が、もし本人ではなく妹さんからだったらどうしよう。ドキドキした。

そして万が一のことを考えたとき、彼女はやりたいことを大抵やっていたのと、楽しそうだったのと、メールの10日前に会った時におもしろかった〜の感情でバイバイしたことで少し救われた気がした。

のちに「多分扁桃腺炎じゃないかと思う。自宅待機でひま〜」なんてのんきな返信が帰って来たので、心底、心底ホッとした。

ただ保健所がまったく繋がらないらしく、検査はできていない。熱は早々に下がったらしいので、一旦は安心している。

以前別記事で書いたが、友人知人にもしものことがあった場合、当人が「やりたいことをやっている」と、救われる部分がある。

自分のためにも周りのためにも、好きなことはやっときたいと改めて思った出来ごと

そして最後に会った時の感情がポジティブなものであると、心の引っ掛かりは軽減される。

日常を過ごしていると、今日と同じような日が明日も続くと思っている。しかしそうとは限らない。最近夫に文句ばかり言っているが、夫はよくやってるのに、文句を言いすぎていた。

と頭ではわかっているのだが、またすぐ言っちゃうんだろうな。

それにしても、こんなに人間が右往左往している間にも春はちゃんと来るんだな。

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