「鬼滅の刃」舞台になった大正時代の浅草!現代の街並みでたどる【聖地巡礼】

アニメ「鬼滅の刃」の第7、8話の舞台となった大正時代の浅草。

この浅草という地に焦点を当て、炭治郎たちが踏みしめた地をわかる範囲で紹介します。

フィクションなのに、アニメ版は当時の浅草を割と忠実に再現していて驚きました。

数秒しか映らない場面でも時代背景が組み込まれた景色が描き込まれており、きちんと調べて描かれているのが伝わって、なんて真摯に作品作りしているんだろうとちょっと感動です。

ではアニメで描かれていた場所、大正時代当時の景色、現代の風景を交えつつ紹介していきます。

浅草 鬼滅の刃道案内

鬼滅の刃の時代設定はご存知の通り大正時代。詳細は省きますが、なかでも1912(大正元年)〜1923(大正12)年9月までの物語であると推定できます。

この大正時代の浅草を、基本的には炭治郎らが浅草の地を目にしていったであろう順番にならって紹介していきますね。

浅草駅からどんどん遠くに離れていくルートなので、散策しやすいと思いますよ。

1. 浅草寺

2. 浅草六区

3. 凌雲閣跡

4. うどん屋の通り

しかし順番で見物していくと、現代の浅草ではどんどん地味な場所になっていきます。

なので、もし地味なところから賑やかな場所に向かって見物したい場合には、逆ルートでたどっていくのがおすすめですよ。

ちなみにですね、心構えとしましては、期待せずにフラットな気持ちで訪ねるのがおすすめです(意味深)。

1. 浅草寺(せんそうじ)

1−1. 雷門(かみなりもん)

まず「浅草」として画面に映し出されるこちらのシーンから。

炭治郎たちが浅草寺を通ったかはわかりませんが、浅草といえば浅草寺(せんそうじ)。浅草寺に続く仲見世が映し出されます。

しかし不思議に思ったかもしれません。浅草寺といえば「雷門(かみなりもん)」なのに・・・

コレですね。雷門

アニメでは描かれていないのですから。

描き忘れ? いえいえ、そうではありません。

じつは雷門は何回も火事で燃えてしまっているのです。そして1865年の雷門の焼失後は、95年もの間再建されませんでした。

そう、大正時代は、ちょうど雷門がなかった時期だったのです。

なのでアニメで雷門が描かれていないのは、歴史に忠実に描かれた結果なのですね。

明治36(1903)年当時。大正時代も同様の景観だったと推測される(引用:国立国会図書館所蔵写真帳

次にきちんと再建されたのは1960(昭和35)年で、これが現在の雷門です。

ちなみに現在の雷門は、松下電器産業(現パナソニック)社長・松下幸之助が個人で寄付してくれたものになります。

雷門map&アクセス

東武スカイツリーライン:浅草駅より徒歩5分 

東京メトロ銀座線:浅草駅より徒歩5分 

つくばエクスプレス:浅草駅より徒歩10分 

都営地下鉄浅草線:浅草駅より徒歩10分

一番近くてわかりやすくてのが、銀座線浅草駅の1番出口です。

つくばエクスプレスはちょっと離れているのでおすすめしません。都営地下鉄浅草線は改札出てからの駅構内での階段の上り下りが多いので(「うそまだあるの階段・・」と絶望してる人を何回も目撃)、車椅子、ベビーカーの方や大きくて重いキャリーバッグを持ってる人は避けた方が無難でしょう。

1−2. 仲見世(なかみせ)

さてお次は仲見世▼

仲見世とは、浅草寺に続く表参道のこと。

雷門をくぐれば、目の前には仲見世が広がります。

鬼滅の刃の舞台の大正時代には、今とは違いレンガ造2階建の洋風の建物でした。

1910(明治43)年の浅草仲見世(引用:国立国会図書館所蔵写真帳より)

当時の仲見世で売られていたものには、雷おこし、はじき豆などのお菓子や、人形、化粧品、仏像などがあったそう。

その後このレンガ造の仲見世は関東大震災によって壊滅、現在の仲見世の建物は、鉄筋コンクリート造で再建されたものになります。

仲見世map

大正時代当時も売られていた雷おこし。

現在も浅草で買えるお店は存在していて、雷門左手にある「常盤堂雷おこし本店」でも買うことができます。創業200年以上の有名な老舗です。

1−3. 宝蔵門(ほうぞうもん)

仲見世の次は、宝蔵門。アニメにも描かれていたので紹介します▼

浅草寺の山門にあたる「宝蔵門(ほうぞうもん)」。雷門をくぐり、仲見世をまっすぐ歩いていくと宝蔵門に突き当たります。

大正時代には「仁王門(におうもん)」と呼ばれていました。

(引用:国立国会図書館

しかしながら仁王門は東京大空襲により焼失。

現在の門は、1964(昭和39年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものになります。名前も仁王門の名から「宝蔵門」へと改称されました。

宝蔵門map

2. 浅草六区(あさくさろっく)

お次は「浅草六区」。浅草寺から10分も歩けば到着しますよ。

浅草六区:浅草寺西側に位置する娯楽街。
1873(明治6)年に東京府が浅草寺境内一帯を公園地に指定。のちに浅草公園内は7区画に分けられ、そのうちの6区画に当たる場所を指したことが「六区」という呼び名の由来。大正時代の六区は映画館や劇場がひしめき合い、人波であふれていた。

浅草六区は、炭治郎が浅草に到着して

「街はこんなに発展しているのか!! 夜なのに明るい!! 建物高っ なんだあれ!! 都会って・・・ 都会って・・」

とフラフラするシーンが描かれた場所です。

アニメで描かれたこの場所・・・▼

描かれたのはまさにこの場所でしょう ▼

大正8年「浅草六区興行街」(引用:下町風俗資料館

アニメ、芸が細かいな・・と感心したのが、幟(のぼり)や看板などをちゃんともじってるんですよね。

例えば写真右の幟は、本当は「相馬大作」。アニメでは「宗谷大作」。写真左の看板は「佐倉宗五郎」のところ、アニメでは「浅倉愁次郎」。う〜ん、細かい。

現在では、同じ場所はこうなっています。北に背を向けた状態で六区を眺めていると、この風景が目にはいるはずです ▼

夜バージョン

浅草六区は炭治郎が浅草の都会っぷりに驚く場所でもあり、鬼舞辻無惨と初対面する場所でもあります。

「こいつが・・・匂いの・・・!」

「ん・・・?」

鬼舞辻が何の罪もない、ただそこを通っていただけの一般の人を鬼にしちゃうのもココ浅草六区。

ということは同時に、珠世さんと愈史郎と初めて出会う場所でもありますね。

大正時代の六区は本当に栄えていて、まさに人・人・人。

大正8年浅草六区の夜のにぎわい
大正3年。写真は、日本初の活動写真常設館となった六区の「電気館」

活動写真(映画)、剣劇、浅草オペラ、安来節(やすぎぶし)などさまざまな流行とともに栄えた大正時代の浅草六区。

そんな娯楽の中心地でもあった六区は、戦後しばらくすると映画館や劇場は次々と姿を消し、2012年には最後の映画館も閉館。かつての面影は今や昔です。

現在の浅草六区にある劇場といえば、浅草演芸ホールとストリップ劇場のロック座くらいでしょうか。

当時のような珍しい建物もさほどなく、さして特別でもない街並み、住民や観光客が行き交う普段着の街となっています。

写真右端に交番が見えますか? 大正時代の地図を見ると、当時もほぼ同じ場所に交番があるんです。

アニメでは警察がすぐ来ましたが、おそらくここの交番の人たちなのでしょう。なんて思いながら古地図をニヤニヤ見ていました。

浅草六区map

南北に伸びる通り一帯が「浅草六区」と呼ばれる場所の目安です。

瓢箪池(ひょうたんいけ)跡地

さてここで、作中に差し込まれるこちらの風景にうつる水辺を紹介します ▼

これは通称「瓢箪池(ひょうたんいけ)」と呼ばれた、大正時代当時には確かに存在した池です。

大正時代のひょうたん池 ▼

江戸東京博物館の資料を撮影

ここはまさに先ほど紹介した六区と接した場所に位置していました。

「〜館」と書かれている場所らへんは浅草六区。ひょうたん池と面している

ひょうたん池は明治時代に作られ、戦後には埋め立てられているため、現在では跡形もありません。

大正時代のひょうたん池が撮影されたと推測する場所から、同じようにカメラを構えて撮ってみるとこんな感じに・・▼

何も見えないし何がなんだかわからない

現在では「まるごとにっぽん」という施設と場外馬券場が建てられています。

どちらもなかなかの敷地面積が使われている場所なので、大きい池だったんだな〜としみじみ。

蛇足ですが、時期によっては場外馬券場付近は独特の雰囲気をかもし出し、テレビ番組「月曜から夜更かし」や「5時に夢中!」などのクルーが待ち伏せするようななんとも香ばしい場所になります。

ひょうたん池跡地map

3. 凌雲閣(りょううんかく)跡地

お次は、浅草六区を北に進んだところに跡地があるコチラ。

度々浅草のシーンに登場する塔。

これは凌雲閣(りょううんかく)、通称「浅草十二階」と呼ばれる建物です。

通称通り、12階建ての建物でした。

炭治郎が「建物高っ なんだあれ!」と言っているシーンがありましたが、この凌雲閣を見ての言葉でしょう。

「建物高っ なんだあれ!」

凌雲閣は1890(明治23)年に開業し、1923(大正12)年9月に発生する関東大震災までの33年間、浅草に存在していました。

開業前に発行された印刷物

当初は高さ67メートルと伝えられていたそうですが、その後の実測では避雷針を含めて約52メートルだったとか。どういうことでしょうね 笑。

凌雲閣は日本で初めてエレベーターを運転したのですが、度重なる不具合で早くも開業翌年には警視庁からエレベーターの運転停止を命じられた切ない歴史も有しています。

やばいと思ったであろう凌雲閣。来場者を増やすため、4〜7階の階段壁面に当時人気の芸妓さん100人の写真を飾り始めました。ちなみに1891(明治24)年から始まった人気投票は好評だったそう。

11階、12階は展望所になっていて、浅草六区方面を眺めれば、こんな景色が見えました ▼

さて、大正時代には確かに存在していた凌雲閣ですが・・

空撮写真

現在は建物自体は先述の通り関東大震災がもとでなくなっていますから、跡地を見ましょう。

浅草の街には、ズバリ跡地ではない場所に説明板があったりするのですが、ここではないのでご注意を。

なぜかホテル京阪の壁面に。記念碑のわりと近いからだろうか

浅草六区を北に向かって歩いていくと、今はちょうど廃業中の元パチンコ屋さんが目に入ってきます。

その入り口付近に、「このあたりにかつて凌雲閣が建ってたよ」と記念碑がそっと設置されています。

さらにパチンコ屋の左側の細い道を入っていくと・・・

なんでもない街並みの中に、突如、凌雲閣の絵が現れます。

現代しか感じられない建物に描かれる凌雲閣

別の角度から見た凌雲閣の絵 (右端)▼

嘘みたいに街になじみすぎて見つけにくい

じつはこの場所、2018年に工事していた時に凌雲閣の基礎部分のレンガが見つかった場所なのです。

関連記事>東京)浅草の工事現場に凌雲閣の遺構 ファン集まる

せっかくレンガが出てきましたが、工事現場で突然出土されたこともあって特にこの場所が保存されるでもなく、ふつうに建物が建っています。

レンガも希望者にはあげたりしたらしいですが、基本的には破却されたとのこと。

跡地は、凌雲閣感ほぼゼロといっても過言ではありませんので、ぜひ心の目で凌雲閣を感じてください。

凌雲閣跡地map

レンガが見つかった工事現場だった場所のmapを貼り付けておきます ▼

超はみ出し情報:全然関係ないですが、近くの「フルーツパーラーゴトー」は果物や甘いものが好きなら、おすすめです。人気店で年中列ができているのでなかなか入れませんが、千疋屋や資生堂フルーツパーラーよりも安価でみずみずしいパフェやフルーツサンドが食べられます。

4. うどん屋の通り

さて、炭治郎がうどんを食べていましたね。

もちろんこのうどん屋さんは実在しなかったでしょうし、ゆえにこの場所も存在せず、創造されたものでしょう。

しかしここはあえて、無理やり力技で、場所を割り出してみることにしました。

架空の場所ながら実在の場所にあてはめてみたのです。

うどん屋に向かう時、凌雲閣が左手方向にあり、その後方には浅草六区があり・・・

うどん屋から帰るときにはもちろん右手側に凌雲閣、向かう方向には同じく浅草六区の繁華街・・

そして凌雲閣とうどん屋は近い場所に位置している。

以上のことから、まずは大正5年の古地図で凌雲閣が間近に見える通りをチェックしました(赤線部分)▼

さらに先ほど挙げた条件をクリアする通りを絞ると、以下黄色で囲んだ通りが該当することになります ▼

さらに大正10年の地図も引っ張り出し、通りをチェック。確信を深めます ▼

しかし確信を深めたといっても、アニメでは付近にお店が見当たらなかったり、うどん屋の向かいが緑だったりなどを鑑みると、どうもこの通りは一致しないのです。

しかしもとより創造されたものなので当てはまらないのは当然です。

広い通り、横が緑・・・などの観点から考察すると現在の「国際通り」もにおうのですが、ここでは周りの景観よりも歓楽街との位置関係を優先しようと思います。

ということから、わたくしは個人的にこの通りをうどん屋の通り、と決定いたしました。

このうどん屋があったと無理やり割り出した通りは、現在では「ひさご通り商店街」と呼ばれる商店街になっています。

こちらの商店街、「フルーツパーラーゴトー」以外は、ほぼ地元住民が利用する商店街で、シブいです。

無理やり個人的な観点から割り出したうどん屋の通りmap

ちなみに「もし実在したら位置的にはこのへんだろう」という場所に、うどん屋ではありませんが立ち食いそば屋さんがあります。

麺つながりで一応紹介しておくと「本陣そば」という小さなお店です。

>>本陣そば 浅草店

番外編: 路面電車が走っていた場所

さて、最後に電車が走っていた場所についてご紹介します。

今も浅草に路面電車なんて通ってたっけな? と頭をよぎった方もいるかもしれませんね。

現代では銀座線やつくばエクスプレスなど浅草に乗り入れている電車はいろいろありますが、路面電車は走っていません。

しかしかつての浅草は、まず明治時代に馬車鉄道に始まり、

明治時代「東京浅草金竜山並ニ鉄道馬車繁栄之図。左奥が浅草寺(引用:郵政博物館

のちに明治時代のうちに電車へと変遷、

そして1916(大正5)年の地図を見てみると、確かに浅草の地を路面電車が走っているのですね ▼

アニメで映し出された場所は、まずは黄色(右)で囲った部分。こちらは雷門の前ですね。

現代の雷門からまっすぐ南に下る道路も、路面電車が走っていたなあという名残が見てとれますよ。

炭治郎たちが見たであろう場所を推測すると、浅草六区を南に下りた場所だと思われます(古地図・左の黄色い囲み)。

電車が走っていた場所は現代の「雷門通り」という広い道路で、雷門を見るついででも、浅草六区を南下してもすぐ見られる道路です。

今はどこにでもあるふつうの道路なので、見てもさしておもしろくないかもしれませんが、どこか見るついでにちらりとチェックしてもいいかもしれません。かつて路面電車が走ってたんだなあという目で見ると、少し違った味わいがあるものです。

路面電車が走っていた道路map

さて思いの外長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございます。

浅草は今もおもしろい街ですが、鬼滅の刃を見たことがある人なら、さらに楽しめる街だと思います。

鬼滅の刃と大正時代の浅草に思いを馳せつつ、浅草をうろうろしまくってくださいね。

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