子どものすべてを知っている時期なんて、本当に一瞬なんだなと思った話

1歳8ヶ月の子どもがいる。

この4月から保育園に通っており、慣らし保育も終わり、風邪を引いたりもしたけれど平日は基本的には息子は園にいる。

まだ保育園に行って1ヶ月なのだが、ふと唐突に「息子が日中何をしてるか、私は知らないんだな」と思った。

もちろん連絡帳に今日どんな様子だったかは書いてあるし、お迎えのときに「砂場でこんな風に過ごしてた」「ご機嫌で遊んでた」なども教えてくれるから、まったくわからないわけではない。

しかし実感と質を伴っては、息子の様子を捉えられない。

ふと園に入るまでの生活を振り返ってみれば、私は彼の生活すべてを知っていたのだ。

どこに行ったか、何を食べたか、どんな風に食べたか、何の遊びをしたか、砂場ではどんな表情をしていたか、誰に話しかけられてどんな反応をしたか。よくわからない言葉は、どのような声色でどんな調子だったのか。

もっと言えば、うんちがどんな様子なのかまで知っていた。

じゃあ今うんちの様子を知りたいのか、園から家に戻したいのかといったら、そういうことでもない。

私一人で息子を見ていた頃は「いつ昼寝するのかな」「長く寝てくれますように」なんて毎日のように思っていたし、一緒に遊んでいても「寝たらアレしよう、コレしよう」なんて頭の中で計画していた。

さらに言えば、新生児の頃はつらすぎて祖母の「100日すれば庭のスズメが見える」という妙な言葉を糧に早く100日経たないものか、早く大きくならないものかと願っていた。

なら園に行くようになったから、万々歳か? と聞かれればそうでもない。

これは保育園と家の比較の話でもないし、どっちであろうと気持ちはフラットだ。息子が家にいようと、園に行ってようと、そこに関してはとくに感情はない。

ただふと急にセンチメンタルな気持ちになった。

息子の生活のすべてを知りたいわけではない。と思う。表情とか、反応とかがどんな感じなのかは気になるけど。

いや、まだしゃべれないほど小さいから、わりと知りたいのかもしれない。

いずれにせよ1歳の今ならともかく、もっと大きくなったら息子も生活のすべてを、親に見られたくなくなるだろう。

さて、保育園に行くようになったから、息子の生活のすべてを知っていたのは約1年半ということになる。

息子が100年生きると仮定したなら、100年のうちのたった1年半だ。

さみしいとかではない。一緒にいるときはどんな表情も見逃さないようにしよう、ともとくに思わない。

ただ事実として、100年のうちの1年半。

本当に一瞬だったんだな。と急に思った、そんな話。

by
あわせて読みたい
関連記事